上原輝男先生生誕99年に寄す
上原先生の「書き姿」写真求む
学修塾ダンデリオン 本莊雅一
これはごく最近、葛西琢也氏から頂いた上原先生自作の短歌、俳句の書です。
ほんとうに、上原先生の書はいつ見ても惚れ惚れします。私自身、上原先生からは葉書で2通、巻紙で2通、色紙2枚(学部卒と、大学院卒)の書をいただいていますが、いずれも家宝として額縁に入れ、大切に部屋の壁に飾っています。
私も還暦を過ぎましたが、このような書の境地には到底及ぶべくもありません。上原先生ご自身からは全くの我流だと聞かされたことがありますが、私も書の流派については完全な無知ですから気の利いた論評なども思いもよりません。
にしても、先生の書は細くて柔らかく、水の流れのような自在さがありながら、玉鋼(たまはがね)という言葉(音)がぴったりくるような芯の強さに貫かれています。宮本武蔵の「戦氣 寒流帯月澄如鏡
せんき かんりゅうつきおびてすめることかがみのごとし)」のレプリカも飾っていますが、見栄えは違っても極意は通じるのだろうなと思わせられます。
書そのものはどう逆立ちしても星をつかむような隔たりですが、先生のあの「書き姿」にはせめて近づきたいと日々念じております。卒論の題目は代々先生に揮毫していただく伝統があったので、毛筆を執られる姿も観たことはありますし、ペンでものを書いている現場には数えきれないほど立ち会わせていただきました。
が、その写真が一枚もない。全くありません、私の手元には。私自身、そんなシーンを撮ったことがありませんでした。なんということでしょう。日常茶飯のシーンとはいえ、上原先生の書き姿ほど、先生の本質を表象しているものはないではないか!
背筋が伸びて美しいのに、脱力というか、心身脱落(しんじんとつらく)と言うのがふさわしい。ボールペンであっても、毛筆のように心持ち高いところで卵を抱えるようなふわっとした握り方。眉はきりっと結ばれるが、何か高いところから見下ろすような視線の下げ方なので、表情からも力は抜けている。
そんな姿が、今でもありありと浮かんできます。だから、写真は無くてもいいのかもしれない。
けれど、あれば、欲しい。
ということで、どなたかお持ちではありませんか?お持ちの方がいらっしゃいましたら、当「上原輝男記念会」管理人の宮田氏までデータをご提供いただけると嬉しいです。
何卒よろしくお願いいたします。
学習塾を経営しています。生徒たち自身に、日々の学修報告書を書いて提出してもらい、それに対して必ずコメントを書いています。ある種の交換日記のようなものです。休み時間中にそのコメントを書くこともあります。寺子屋型の教室なので、私がそうしているのを生徒たちも見ています。だからいつも常に、上原先生の書き姿を念頭に置いています。子どもたちは私の姿をどう見ているだろうか、と内心緊張しながら。