雨の中の桜、上原輝男の「狩場の庭の言い捨て」
「児童の言語生態研究会」の「音声言語教育論」の起源、折口信夫の「和歌の起原」考、『言語情調論』をめぐって
須貝千里(山梨大学名誉教授)


□ 宮田雅智さんから、2024年4月2日8時42分、メールにて、次のような原稿依頼を受けました。

 4月11日は上原先生の命日です
 「上原輝男記念会HP 資料集コーナー」に、みなさんから任意に寄せられた寄稿文を集めた命日特集を作ろうと思っています。先生の思い出でも、命日を意識したものでも、著作集を出す意義をさらに詳しくでもかまいません。

 この依頼を受けて、応えよう、と思いました。

 と、いっても、わたくしは生前の上原輝男先生にお会いしたことはありません。 

 2017年8月に開催された、伊豆での、先生が主宰されておられた「児童の言語生態研究会」の合宿研究会に参加して以来、会の月例会に参加させていただいています。そして、先生と会が提起されていた/いる「心意伝承としての基層教育学」について考え続けています。だが、この出会いのとき、すでに、先生がお亡くなりになってから、20年以上経っていました。

 その後、思うところがあって、毎日、研究日誌を付けるようになりました。研究日誌の登場人物は上原先生だけではありませんが、これは鎌倉時代の僧、明恵の「夢記」に倣ってのこと、です。明恵が自ら右耳を切断したごとく、書いては書き直しています。潰さなければ、自らの思考を潰さなければ、前に進まない。で、ありますが、実のところ、前に進んでいるかどうかは、自分には分りません。至らなさに慄き続けていますが、夢の中でも書き続けているのです。

 と、いうことでありますが、2024年4月2日から4日にかけての日誌の抜粋を、ここに記させていただくことにします。潰しては残ったものを、です。滓かもしれませんが、そのことによって、わたくしにとっての「上原輝男」というテーマについて綴ろう、と思います。

 雨が降っています。冷たい雨に、桜が打たれています。


□ この小文に、上記の、エンカ(演歌・艶歌)みたいなタイトルを付けました。おそらく「日本情調」に向き合っていくことになるでしょう。「情調」とは「感情」(イメージ)の波動のことです。「雨が降っています。冷たい雨に、桜が打たれています。」の二文なら、「雨が降っています。」と「冷たい雨に桜が打たれています。」を「思考」(論理)においてではなく、「感情」(イメージ)と、その「もつれ」としての「波動」において受け止めようとしています。「あ」と「さ」、「ふ」と「う」の「音調」を、です。あなたは、そうした事態に立ち会っているはずです。「降っています」と「打たれています」の因果関係としてではなく、「降っています」と「打たれています」の「反復」と「もつれ」として受け止めています。「思考」(論理)によって「感情」(イメージ)を包摂していく「レイヤー」構造によってではなく、「感情」(イメージ)によって「思考」(論理)を包摂していく「レイヤー」構造によって、「思考」(論理)という「バイアス」を超えていくことを試みようとしています。そのことによって、「トランスフォーメーション」(構えの転換)という課題に問題を見出し、事態の探究に挑んでいこうとしているのです。


□ ここで、わたくしは、〈外部〉を問題として問うていく入り口に立たされることになります。
なぜか。

 (長年、よく分らないままに、そのことの恥ずかしさも自覚せずに、)「物語」や「小説」を論ずるときに、わたくしは〈語り手〉という用語を用いてきたのですが、ここで、このことの本質的意義が問うていきます。それは、「物語」という〈文字文学〉はもともと生の声で語られ、こうした経緯を前提にして、「物語」が、そして、「小説」が生み出されていった、これは大筋において間違いないことなのですが、わたくしは、ここで、そうしたことをなぞり直そうとしているのではありません。

 では、どういうことか。

 これは、〈語り手〉と言えば、済むことではないのです。

 では、どういうことか。

 〈文字文学〉としての「物語」から「小説」への過程において、登場人物の「音声」とは別に、意味ではなく、「音声」自体が問題にされなければならない、こうしたことが問われなければならない、このことを問題にしていきたい、こういうことです。

 このことは、意味なき「音声」のレベルにおいて、「文字」のレベルにおいての「意味」が問われていく、こうした事態を問題にしていくことになります。〈文字文学〉としての「物語」や「小説」に孕まれている事態として、です。「文字」のレベルにおいての「意味」の〈外部〉、これが〈文字文学〉としての「物語」から「小説」へと領域を広げていき、問題が現れ出てくる「音声」の問題です。このことが、「物語」に対して、「小説」を生み出していくことになった、ということになります。「音声」にも、もちろん「意味」がありますが、「音声」の意味なきレベルは〈外部〉に向き合っています。もちろん、「文字」の意味なきレベルも〈外部〉に向き合っていますが、「音声」の意味なきレベルは「文字」のレベルの〈外部〉との接続を誘発していきます。こうして、「言語」の、とりわけ、少しややっこしい言い方をしますが、〈文字以前〉の「音声」の意味なきレベルは、「言語」の〈外部〉に向き合っているのです。〈言語以前〉の領域に、です。そして、〈語り手〉の「対応」は〈聴き手〉に「感染」します。

 このことを問うための用語が、〈文字文学〉としての「物語」や「小説」における〈語り〉、〈語り手〉ということになります。〈語り〉、〈語り手〉は、単なる表現機構の説明用語ではないのです。「文字」における「意味」の「バイアス」を〈外部〉から問題化している事態に関わっている用語なのですから。「音声」に潜在しているプレ〈音声〉の一義性という事態は、動物の鳴き声に比することのできる事態は、〈文字文学〉においては「文字」の意味性を問題化していくことがある、このことは、〈外部〉から〈内部〉を問題化していくのですから。

 このことが、「物語」から「小説」への展開によって、問題化していくことであります。


 先走って、記しておくならば、このことは、折口信夫が、明治43(1910)年に國學院大學に提出した卒業論文、「和歌の起原」考としての『言語音調論』で、「言語音調」の要素として、6つの要素「(1)音質」「(2)音量」「(3)音調」「(4)音脚」「(5)音の休止」「(6)音位」をあげて問題にしていくことに対応していく事態です。このことは、わたくしの場合、「和歌の起原」の問題を「小説の起原」の問題に展開させての探究ということになっていきます。原理としての〈語り〉、〈語り手〉にとっての〈外部〉の問題として、です。もちろん、このことは、原理としての〈聴く〉、〈聴き手〉にとっての〈外部〉の問題として、問われていくことになります。〈言語以前〉の問題が、このように問われていくのです。「仮象」が問題化されていきます。

 以下、なぜか、どういうことか、を綴っていくことになります。

□ 上原輝男らの提起に「ことばは本来 声 であった」があり、この提起は小学校段階の「国語教育」の課題は「音声言語教育」にある、ということに焦点化されていきます。この提起は、小学校3、4年生段階の「トランスフォーメーション」(構えの転換)の前提として問題にされています。この転換点を、上原らは、折口の言葉、「生命の指標」(らいふ・いんできす)によって把握しようとしています。「世界定め」に関わる転換点として、です。

 上原は〈言語以前〉の問題を「音声言語教育」の課題として論じています。
 こうなるか。
 いや、こうはなりません。
 こうしたややっこしい言い方をしなければならないところに問題が潜んでします。
 どういうことなのか。

 上原は〈文字言語〉に対して〈音声言語〉を問題にしているのですが、このことは〈言語以後〉に対して、〈言語以前〉を問題にした、折口の「言語情調論」を前提にしてのこと、です。

 しかし、こう、上原の「音声言語教育論」を受け止めていくためには、いくつかの整理をし、受け止めていかなければなりません。


□「声」(音声)に関わって、上原には4編の論考があります。

1.「音声言語教育の方法」(「感情教育待望論 その4」(『児童の言語生態研究』10号(1980年5月)掲載。後に、上原著『続 感情教育論 心の琴の音の鳴る子に』(児童の言語生態研究会 2011年7月)に収録。)

2.「ことばは 本来 声であった」(「感情教育待望論 その12」(『児童の言語生態研究』18号(2018年10月)掲載。この論考は、1982年7月20日の青森県弘前市立第2大成小学校にての講演。)

3.「文字言語より音声言語を先に」(『El Puennte』(中南米日本語通信、1984年から1991年,玉川学園)。後に、『続 感情教育論』に収録。)

4.「日本人の霊格「や・ゆ・よ」音の中に小学校国語教育の尊厳を問うーわが民族の生命観としてのよみー」(『月刊国語教育研究』(日本国語教育学会 1992年3月)掲載。後に、『続 感情教育論』に収録。)

 1では、

 近頃、言語感覚なる語が安易に使われているが、少なくとも国語教育の中で用いる時は、言語技術上の手段や、芸術家など一部の人の特殊才能を思ってはならない。それは言語を使うための感覚ではなくて、言語獲得は特殊感覚の限定の仕方もしくはその意識化であって、国語教育の目的に据えられるものと考えねばならない。

 たとえば、南米の先の〔p(プ)∫(シー)p(プ)∫(シー)〕は、日本語の「もしもし」に相当しようが、日本人の誰が、赤ちゃんに向かって、「もしもし」を連呼するだろうか。しかし、日本人にとって、この「もしもし」が意識喚起に用いられたことは誰でも認めることだろう。そして、この「もしもし」が、「申し申し」と同一であることに思い至るとき「もしもし」は「申し上げます」の簡略語だと説明されて感心するのは愚かなことで、私見ではあるが、意識喚起に選ばれた音声「もしもし」が「申す」の語を生み、やがて「ます」に固定ったに違いないのである。語の変化というより、音声変化に興味をそそぐことの方が本当なのである。勿論、あちらは子音を人間音声の組織基盤にとり、こちらは母音をもって単位としているところに大変な言語感覚の相違を認めねばならないが、両者の意識喚起音が形の上で面白いし、どうやら、ことばを憶えて、意識を分化させる国語教育のやり方は、本来的なものではないと言えそうである。意識分化にともなって音声が選ばれる。それを言語感覚と呼ばなければならない。
(『続 感情教育論 心の琴の音の鳴る子に』 傍線――引用者。211-212頁)

という提起がなされています。


2では、

(角川書店の『古語大辞典』の意義について触れた上で、)我々は、知らず知らずのうちに、「う」の音に海を感じ取り、「み」の音に水を感じ取ってきたという方が正しいんであります。つまり、人間の音声は、出る音それぞれに自分の感じ方をまとめたものであります。日本人の感覚配当を、我々の音声に配分していったと言ってもいいわけであります。分かりやすく言えば、これが「基」です。 
(『児童の言語生態研究』18号 傍線――引用者。5頁)

さらに私は、日本人の「うみ」というのは、「産み」と同じ考え方でよかったんではないだろうかというふうに、思ったわけであります。「ものが、産み生(な)さる]内部から内部的な生命が外へ噴き出してくる。それを「膿み(海)」といい、あの一面、静かに見えるような海原も、何か、内部的な生命を感じ取るということにおいて、「うみ」という言葉を産みなしているんではないかと思う訳であります。
(『児童の言語生態研究』18号 傍線――引用者。6頁)

我々が、大事にしなければならないことは、ことばの、その音と感覚とは一つだというふうに考えていかなければなりません。(『児童の言語生態研究』18号 傍線――引用者。7頁)

 日本語は、「擬声・擬態語」が世界で一番多い、もう抜群に多い言葉なんです。「擬声・擬態語」。私は擬声とか擬態という言い方は、ちょっと抵抗があるんですけれども、音を頼りにして創り上げた言葉ということを、日本語の一番基礎に据えているっていうふうに考えているんです。                 (『児童の言語生態研究』18号 傍線――引用者。10頁)

という提起がなされています。


 3では、

 実感が口に出る。これが出来なくて、ほかにどんな言語教育をしようとするのか!(出来ないのではない。させないのだ。)文字言語よりも音声言語を先にという根本的理由を真っ先に理解してほしい。“わあっ!”という歓声が挙げられるということ自体、すばらしいと思わねばならない。体感・実感・感動が伝えられない言語教育など、何ほどの意味があろう。
(『続 感情教育論 心の琴の音の鳴る子に』 傍線――引用者。230頁)

という提起がなされています。


 4では、

「ゆたかさ」「ゆたけさ」は簡単にいえば、日本人の感覚的価値であった。「ゆ」は「や」「よ」とともに日本人が古来、神聖、神秘と交感する音声であったのである。その高さ、その貴さ、その猛さ等を把える時、「ゆたかさ、ゆたけさ」であった。「ゆ」は漢字を当てれば「齋・忌」であろう。現代語の中にも、そうと気づかせる言葉がないわけではない。「ゆゆし、ゆかし、ゆいしょ」等があり、名詞でいうなら「夢」「弓」「柚」「雪」「湯」等、日本人が霊格を感じるものに伝承されている。従って、長く培って来た潜在能力ともいえるわれわれの肉体の基層感性が消滅するとは思えないのである。
(『続 感情教育論 心の琴の音の鳴る子に』 傍線――引用者。260頁)

という提起がなされています。


□ これらの、上原の問題提起は、折口信夫の卒業論文、「和歌の起原」考というべき『言語情調論』(明治43(1910)年)を前提にしたものと受け止めることができます。(今のところ、確証はありません。折口の、この論文を、上原は読んでいたとのことですが、推論に過ぎません。この件について、確証となるべきことをお知りの方は、どうぞ、お教えください。)

折口が『言語情調論』で提起しているのは次のようなことです。(この論考については、國学院大学図書館デジタルライブラリーにて公開の、折口博士記念古代研究所蔵の自筆原稿によって、記していきます。見開き94頁で公開されています。引用に当たっては、新漢字、新仮名遣いに改めています。句読点は原文に従って付さずに表記しています。)

 折口は、同稿で「言語は、声音形式の媒介による人類の観念表出運動の一方面である」
(4頁)、「言語表象の完成を声音の副射作用によって観念界に仮象をうつし出すことによってえられるのである、二次的なることはますます明らかである」(4頁)というように把握し、このことを「言語情調はもともときゝての意識界にある出来事で はなしての側におこった直接情調が 言語形式を通じてきゝての側に再生したものである」(36頁)と把握し、(折口は、「教育」の「場」における教師と児童・生徒の関係を「はなして」と「きゝて」の関係として把握し、「教育」を「感染作用」として論じていますが、これは「神」と「みこともち」としての「天皇」の関係を祖型にしても論じられていきますが、)卒業論文においては、この事態、「言語表象の間接性」に向き合っていくために、「仮象性を脱する努力」として「言語」の「類化作用」「表号作用」「音覚情調」、そして「言語情緒」に注目していきます。(9-13頁) 「言語」には「意志」と「感情」の2つの側面があるとし、「感情」に「音覚情調」のみならず、「言語情調」が関わっていき、単音においては「音覚情調」、複合音においては「言語情調」となりますが、両者は、原理において異同はない、としています。その上で、「言語情調」として「声音」を問題にしていきます。「言語情調」には「(1)音質」「(2)音量」「(3)音調」「(4)音脚」「(5)音の休止(間)」「(6)音位」の6つの要素(卒論原文、見開き50頁から74頁まで)があるというように、です。


折口は、「言語情調」の「本質論」として、「言語表象の両面」について、

 人間は活物であるから感情がある 意志の表出をすると共に感情の表現もまた一つの要求である 言語に感情を表象する「あはれ」「かなし」などいう語があるという勿れ これらはその根柢はたとい感情であるにしても 実際は感情は批判した意志の表象である   
(35頁)

と、記した上で、「6つの要素」を、次のように説明しています。

「(1)音質」は、「音の性質をいうので発音機関調節の伝達によって数多の異なる音に分かたれた音の数と音質の数と等しい」こと。「(2)音量」は、「音量の大小によって音波の振幅に大小が生ずる この大小によって聴覚の刺戟に強弱が出来ること」のこと。「(3)音調」は、「従来音調は音の高低によっておこるものと考えられて居る しかしこれは音の長短によるものといいかえばねならぬ これは単語にもあり文にもある」こと。「(4)音脚」は、「数字音の集合が小休止によって他の集合と分かたれた区域をいうので、一語一句一文が数部に区画さられる」こと。「(5)音の休止(間)」は、「若干の声音の連続が拍子の影響を受けていくつかのMeasureに分かたれる」こと。「(6)音位」は、「ある音質が前後の音質他の其他条件によって多少変質せられることをいう」こと。

この提起は、「連想言語」と「象徴言語」を前提にしての提起ですが、さらに、このことは、「言語」の「類化作用」「表号作用」「音覚情調」のうち、特に「音覚情調」の提起を前提にしての提起です。折口は、

 もし言語が意味だけを述べてこの音覚情調を有せないものとすれば 人ははなしての意志を知ることは出来ても感情を感受することはおぼつかない 言語文章の意味はわかっても内容の全部を納得することは出来ぬのである すなわち感情の傾向というものを全くすててかえりみない訣になるのである 志かし案ずることはない このことは実際行われている事実なのである 一度も耳にしたことにない管弦楽を聴いてその意味を知らずしてまずその感情傾向を直観するのはこの作用による 時としては意味のない声音の排列においてもある感情の傾向を聞き取ることが出来る
(12頁

と指摘しています。折口は、「意志」と「感情」の〈外部〉に、「意味のない声音」を「言語情調」
として、〈言語以前〉として問題にしようとしている、こういうことができます。

この提起には、『和歌批判の範疇』(『わか竹』第2巻5号、11号 1909(明治42)年5、11月)という先行論考がありますが、その論考では、「和歌」という文字資料を対象にして、「音覚情調」と「言語情調」が論じられていますが、問題の焦点は、〈文字以前〉の「音声」に当てられ、これを、折口は〈言語以前〉との関わりの中で問うています。(このことは、別に、村上春樹の作品における、引用としての「音楽」の問題にもなっていきますが、これは機会があれば、別に論ずることにしましょう。村上においても「音声」の問題は〈音声以前〉としての〈言語以前〉の問題として論じられていくことになります。)

 話を戻します。

この、折口の提起は、後の、『日本品詞論』(大正4年頃草稿)、『熟語構成法から観察した語根論の断簡』(『川合教授還暦記念論文集』 1931(昭和6)年12月)における「語根」と「語尾」をめぐる考察に展開していきます。これらでは、「音覚情調」が「単音」と「言語情調」が「単語音」として、「音声」にかかわる問題にされていきます。その上で、折口は「国文学の発生」の4編(第一稿『日光』第1巻1号(1924(大正13)年4月)、第二稿『日光』第1巻3、5、7号(1924(大正13)年6、8、10月)、第三稿『民俗』第4巻2号(1929(昭和4)年1月)、第四稿『日本文学講座』第3、4、12巻(1929(昭和4)年1、2、11月))の論考で、「日本文学の発生」の3編(『岩波講座 日本文学』第11輯」(1932(昭和7)年4月)、『日本文学講座』第1巻(1932(昭和8)年10月)、『人間』第1~4号 1947(昭和22)年1~4月))の論考で、「呪言」(呪詞)が取り上げられていますが、これらでは「言語」の「感情」のレベルのみでなく、「言語」の「意志」のレベルに焦点が当てられていきます。

で、ありますので、研究課題の焦点が、「言語情調」から移動している、こう映るでしょう。しかし、折口においては、この事態は生涯にわたって、「意志」は「感情」によって包摂されて問題にされていた、このことを前提にして把握することが求められています。「感情」と「意志」は相互包摂の関係にあるということが、です。そして、この〈言語以後〉の事態が〈言語以前〉という事態を前提にして問われているのです。「言語情調」は「感情」以前の事態です。(上原の用語では、「意志」は「思考」(論理)のこと、上原の「感情」は折口の「感情」に対応しています。)

□(この、折口の研究の展開をどのように受け止めるのかは、折口古代学の「実在論」と「存在論」をめぐる問題になっていきますが、)上原は、こうした折口の研究動向の中で、「音声」を「言語」の「感情」のレベルだけなく、「意志」のレベルでも問題にしている、というように確認することができます。

もしかしたら、上原は、『日本品詞論』『熟語構成法から観察した語根論の断簡』における「語根」と「語尾」から、あるいは、「国文学の発生」の4編の論考から、「日本文学の発生」の3編から、「音声」の問題に向き合っていたのかもしれません。そして、そのことが「言語情調論」の受け止め方に矛盾なくつながっていくと受け止めていた、そうであると考えていた節があります。それは、後で触れる、『言語情調論』の執筆の段階で折口が問題にすることのなかった/取り上げることに否定的であった、一次的に、「単音」とその「複合」の「音」における「感情」と「意志」の相互包摂という事態を論ずることに、上原が不用意に踏み込んで論じていることの現れであると言えるかもしれません。

このことは、上原が、鈴木朖が、『雅語音声考』(文化13 (1816) 年)で、一次的なものとして、「単音」とその「複合」の「音」における「感情」と「意志」の相互包摂という事態を、論じていることに影響を受けてのことかもしれません。

で、あるならば、ここには、こうした課題が現れ出てきます。

上原の「音声」に関わる問題提起を、折口の「言語情調」の提起にまで戻って受け止め直していくことが求められているのではないか、と。

こういうことです。

〈言語以前〉の問題に徹底的にこだわり、問題を「存在論」に移動させていくのではなく、「実在論」にこだわって論じていくために、このことが課題になっていくのではないでしょうか。このことは、上原の「音声言語教育」の起源が折口の「言語情調論」の提起であった地点から、「声」、「声音」=「音声」が〈言語以後〉の事態であることを問題として問うことになっていくのではないでしょうか。と、すると、「声音」の「感情」と「意志」をも、〈言語以前〉から逆包摂(「逆対応」「逆限定」)していくことが求められていることになります。


□なぜ、こんなことを言うのか。

こういうことです。

折口信夫は「音質」に関して、次のように言っています。「各(引用者、挿入)音がそれぞれ異なる情調を人に与えるものとは考えがたい。しかし大体において母音や調節機関の差によって、存外多くの差異を感応できるはずである」、と。

わたくしは、折口の『言語情調論』では、基本的に「単音」ではなく、「単語」の「音」以上で「情調」を問題にしていることに注目しています。対して、鈴木朖の『雅語音声考』では、基本的に、有名な「言語は音声なり。音声に形あり姿あり心あり。されば言語には、音声をもって物事を象どりうつすこと多し。」で示されているように、「単音」でも「単語」の「音」においても「情調」ではなく、「感情」と「意志」に注目しています。この差異に、上原の「音声」についての問題を考えていく時に注意していくことが求められています。

 上原が『言語情調論』を読んでいた、という前提で記しますが、氏は、折口の、この問題の提起に、「語根」、「呪言(詞)」への注目と、自らの「音声」への注目を重ね合わせていますが、その時、折口の『言語情調論』における「情調」としての「声音」への注目を放棄しているわけではありません。上原も「情調」としての「声音」の問題を前提にしているのです。これは、折口の、鈴木朖の提起との向き合い方として留意しておかなければならないことで、鈴木の、今日の「音象徴」研究との親近性は、この留意とともに問題にされていかなければならないことです。このことを前提にして、わたくしは、上原の「音声」問題へのアプローチの仕方がいかなるものであったのかを把握しよう、としています。

 ただし、折口にも、「「ほ」・「うら」から「ほがい」へ」という論考(1995年5月発行の「折口信夫全集 4」(中央公論社)に「草稿」として収められている)があり、それでは「単音」、「複合」の「音」においても「意志」=「思考」(論理)のレベルでの「言語」の探究がなされていますので、このことを無視していいことにはなりません。


 本稿では、この、折口の提起を、「言語情調」によって逆包摂しようとしていますが、折口の論のあり方をそのように把握しているのは、とりあえずは、わたくしの問題提起に属してのことである、と申し述べておきましょう。

□ この考察にあたって、安藤礼二が、『折口信夫』(講談社 2014年11月)で、「言語調論」について、次のように述べていることが前提にされなければならないでしょう。


 明治が終わろうとしていた頃、ほぼ同時期に、折口信夫は国学院大学に卒業論文『言語情調論』を提出し
(一九一〇年七月)、西田幾多郎は『善の研究』を刊行した(一九一一年一月)。折口が『言語情調論』を執筆していく過程と、西田が『善の研究』をまとめ上げていく過程は並行していたことになる。時期的な問題ばかりではない。内容的にも、折口が『言語情調論』でアウトラインを提示しようとした「直接言語」(象徴言語)と、西田が『善の研究』の冒頭に唱えた「直接経験」(純粋経験)は、ほとんど同じ事態を示している。

 西田は言う。自分が哲学の根本に据えるのは「純粋経験」である。「純粋経験」は「直接経験」と同一であり、「自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一して居る」状態を指す。折口は、『言語情調論』の原型となった「和歌批判の範疇」で言う。和歌表現の上で直接言語に限りなく近づいた「定家の所謂幽玄体と称するもの」は、「主観客観を出て絶対境に入らむとして居るものが多い」。和歌における「絶対的表現」とは、「即主観客観の融合した者と、主観客観を超越した者とを併せていふ」。さらには『言語情調論』においても、「言語の可能性」として、「事象(対境)と言語表象(観念)との一致を求めるといふ根源的な活動が、超経験的に存すればこそ、言語機能は可能性を有するに至るのである」と。

主観と客観、あるいは観念と物質、あるいは内部と外部という対立する二つの概念の消滅。折口信夫が「言語」に見ていたものと西田幾多郎が〈経験〉に見ていたものは等しい。

                       (傍線部――引用者。75頁)


 この指摘は、〈言語以前〉と〈言語以後〉に関わる問いのレベルで受け止めることができます。

 したがって、安藤の書の「第二章 言語」の「言語情調論」の注9のチャールズ・パースとウイリアム・ジュームズに関する、(ここでは、「アブダクション推論」の提起者であるパースに「アブダクション」の提起者ついて取り上げておくが、)
 

 パースの「記号論」が折口の『言語情調論』に間接的に影響を与えている可能性も無視することはできない。
(88頁)

という指摘も、同様に受け止めることができます。わたくしは、折口が1925(大正14)年5月に発行された『教育論叢』(第13巻5号)掲載の「新しい国語教育の方角」(『折口信夫全集』第12巻 中央公論社 1996(平成8)年3月)で、「教育は個性を以って個性を征服するところに、氏の意義がある」と言い、「個性の戦争」を提起し、「造語能力」の育成に「国語教育」の課題を見出していることに注目していますが、こうした提起に、パースの「アブダクション」に関する問題提起の影を見出しています。そして、パースが、その論を「存在論」においてなしているのに対して、折口の論は、それを「実在論」に転回したものになっていることを、そして、このことは、折口の、「教育」は「感染」であるという提起と伴走したものになっている、とも付記させていただきましょう。

 パースの「アブダクション論」を導入して、「言語の起源」を論じた最近の研究の成果が、今井むつみ・秋田喜美によって『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書 2023年5月)が出されていますが、これはパースの「存在論」を前提にして、「単音」(「母音」他)と「オノマトペ」を研究の対象にして論じているものです。わたくしはパースの「存在論」としての提起の意義を認めた上で、論を「実在論」として捉え直す、そうした立場に立っています。したがって、わたくしには、両氏の問題提起を「言語の事実」を問題にしたもので、「本質」を問題にしてのものではない、と受け止めているのです。このことは、同書で、「言語」の「起原(・)」を論じているのに、にもかかわらず、両氏は、そのことを「言語」の「起源(・)」として表記し、問題にしていることを問うことになっていきます。「個性の戦争」とは〈言語以前〉を事態の前提としての問題の提起です。これは、今日の「音象徴」研究の支配的な動向に対する問題の提起です。この小文をそうしたものとしても読むことができます。このことは「ゲン」という「音」に関わる「言語情調」の問題として論ずることができるでしょう。躓き、立ち止まりの「情調」の問題として、です。これは、「感情」でも「意志」(思考)でもありません。現れ、としか言いようがない何か、ないけどある、何かです。

 このことは、安藤が、折口の「言語情調」の提起に関わって、「主観と客観、あるいは観念と物質、あるいは内部と外部という対立する二つの概念の消滅。折口信夫が「言語」に見ていたものと西田幾多郎が〈経験〉に見ていたものは等しい。」というように指摘している事態に関わっていきます。


□ こうしたことが、上原輝男の「音声言語教育論」を受け止めていく前提になっていきますが、ここで、安藤の問題提起を伏線にして、上原の問題提起と折口信夫の卒業論文『言語情調論』との対照をしてみましょう。

 わたくしが、安藤の文章に引いた傍線部と上原の文章に引いた傍線部に注目してください。

 安藤礼二は「「言語の可能性」として、「事象(対境)と言語表象(観念)との一致を求めるといふ根源的な活動が、超経験的に存すればこそ、言語機能は可能性を有するに至るのである」と。/主観と客観、あるいは観念と物質、あるいは内部と外部という対立する二つの概念の消滅。折口信夫が「言語」に見ていたものと西田幾多郎が〈経験〉に見ていたものは等しい。」というように問題を論じようとしています。

 対して、上原輝男は、「ゆ」は「や」「よ」とともに日本人が古来、神聖、神秘と交感する音声であったのである。その高さ、その貴さ、その猛さ等を把える時、「ゆたかさ、ゆたけさ」であった。」、「ゆ」は「や」「よ」とともに日本人が古来、神聖、神秘と交感する音声であったのである。その高さ、その貴さ、その猛さ等を把える時、「ゆたかさ、ゆたけさ」であった。」というように、「言語表象(観念)」に焦点化して、論じています。


 この、安藤と上原の対照によって浮かび上がってくるのは、わたくしの言葉で言えば、〈言語以前〉と〈言語以後〉をめぐる問題である、となります。安藤が、「「事象(対境)と言語表象(観念)」との「間」(カン)で問題を論じようとしているということは、〈言語以前〉と〈言語以後〉との「間」(カン)で、ということになり、上原が「言語表象(観念)」に焦点化して論じようとしているということは、〈文字以前〉ではあるが、〈音声以後〉であるということになり、〈言語以後〉で、ということになるのではないでしょうか。

 で、あるならば、この、上原の事態は、おそらく折口の『言語情調論』からの研究の展開に対応しているのでしょうが、この事態に対して、安藤の「主観と客観、あるいは観念と物質、あるいは内部と外部という対立する二つの概念の消滅。」という提起を対置して検討していくことが求められているということになります。

 で、どうなるのか。
 
 上原の「感情」(イメージ)と「思考」(論理)を「トランスフォーメーション」(構えの転換)の提起は〈音声言語〉と〈文字言語〉の「間(カン)」での提起ですが、このことは〈言語以後〉に対する〈言語以前〉の設定を前提にして提起されている、と受け止めることができます。このことは別に引用している、武村昌於作成の「児言態の構造・関係図」(2018.10)に示されていることです。この提起は、今後の上原の「心意伝承としての基層教育学」の展開に向けての提起である、ということになります。(このことについては、村上春樹の再近作『街とその不確かな壁』における、「壁の外側の街」と「壁の内側の街」との「間(カン)」の「不確かな壁」について考えていくことも有益な示唆を与えてくれます。「不確かな壁」という設定の重要性は〈言語以前〉と〈言語以後〉を論じようとする時の不確かな事態に対応しているからです。『街とその不確かな壁』については別に論じています。)




□こう書いてきて、この小文の題名は、『國學院雑誌』(1980(昭和55)年11月号)の「<特集> 日本文化と祭り」に、上原が「「助六」(花館愛護桜)の紙子と鉢巻」を書いていることに響き合っていることに気が付きました。(で、ありますので、題名は「曽我物助六虎雨雨桜狩場言捨幻
(そがものすけろくとらのあめはあめのさくら、かりばのいいすてまぼろし)」にしようか、とも思いましたが、それゆえに、)ここから、氏の「“曽我の雨”再考―雨と瓜と馬―」(『曽我の雨・牛若の衣装―心意伝承残像―』(編集 心意伝承研究会/児童の言語生態研究会 2006(平成18)年11月号)、初出『國學院雑誌』1993(平成5)年11月号)を論じていかなければなりんせが、これは別稿にての課題となります。

 このことは「日本情調」の課題として、ということになるでしょう。この時、「日本情調」は「言語情調」に包摂されて問われていくことになります。

 これが折口信夫の「古代学」の受け止め方に求められていることであり、上原輝男の「心意伝承学」の受け止め方にも求められていることです。「神」の問題が〈内部〉に対する〈外部〉の問題として問われていきます。「感情」と「意志」をめぐる問題の受け止め方として、です。

「神」という〈外部〉と、「感情」との接続の問題は、上原輝男が「儀礼形式といえば『幸若舞曲』「夜討曽我」に伝え残してくれた「狩場の庭の言い捨て」こそ、考古学上の貴重な残欠出土品にも匹敵する」(
前掲『曽我の雨・牛若の衣装―心意伝承残像―』収録の「曽我物語と馬―一富士、二鷹、三なすび―」(52頁)、遺稿1996(平成8)年))と指摘し、「「狩場の庭」」という言い方自体がすでに、古代的なのであって、庭は人工庭園から始まるのではなくて、常なる空間が非日常化した空間に変わるところを庭と呼んだのである。つまり、神が来臨するか、神が表徴を示す空間をいう。」(同書 49-50頁)はであり、「狩場の庭の言い捨て」の「言い捨て」に触れて、(荒木繁は『幸若舞曲』(東洋文庫 平凡社 全三巻 1983年、1986年、1987年)の注で、――引用者。)「「言い捨て」を、「正式な連歌が懐紙に記録されるのに対して、即興的に詠み捨てる句を言う」と書かれているが、むしろ、狩場の庭=狩倉・神聖な場所であるから、記録しない、または記録出来ない、が、より基本的な在り方であったかもしれないと思っている。逆に、そうであるから、示唆とも予言ともなり、根元的には神の託宣の形と効果を備えていると思うのだが――」(同書 53頁)と述べていることに通じていきます。


 紆余曲折しながら、わたくしがたどり着いた地点はこういうことになります。

 上原輝男の「心意伝承としての基層教育学」は、そもそも「狩場の庭の言い捨て」を前提にした「学」であり、〈言語以前〉からの折り返し、〈外部〉からの〈内部〉の逆包摂(「逆対応」「逆限定」)を図ろうとするのである、この地点からの受け止めが求められている、と。

 これは、わたくしの「不確かな壁」の往還の記録に他なりません。「夢記」として公開させていただきます。


□宮田さんからの依頼に対して、私にとっての2024年4月2日から3日にかけての上原輝男
についての考察、その後の思索の混濁そのものを提示させていただきました。

 「声」を問題とした上原輝男の「声」が聴こえてきます。しかし、それは「狩場の庭の言い捨て」と言うべきものです。上原輝男は生き続けています。「意思」としてでもでありますが、「感情」としてでもあります。わたくしはそのための「まれびと」であることを願っているのですが、事態は「感染教育」として問われていくことになります。

  『言語情調論』の解読作業に戻ります。上原輝男の「音声言語教育論」を問い続けていきます。
(今、4月8日11時01分、葛西さんから中公文庫の『言語情調論』が届きました。早速、読ませていただきます。)


 雨は止みません。これは「虎が雨」、「曽我の雨」の前触れかもしれません。何かの不確かさの現れなのでしょう。これも「言語情調」として問われていく、何か、なのですから。



付記:管見の限りにおいてであるが、教育研究の分野で、折口信夫の『言語情調論』を取り上げているものに、次の3篇の論考があります。一つ一つについての言及はしておりませんが、本稿引用の安藤礼二の著以外で、執筆にあたって対話の対象にさせていただいたものです。

1.濱田辰雄「感染教育とキリスト教教育ーー折口信夫から八木重吉へーー」(『聖学院大学総合研究所紀要』12号 1998年3月)
2.渡辺知明「折口信夫『言語情調論』をよむーー表現読み理論ノートーー」(『日本のコトバ』23号 2004年12月)
3.齋藤智哉「折口信夫の師弟関係ーー「かたる」行為と聴く構えーー」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』44号 2005年3
月)

 なお、『言語情調論』自体に対する先行研究を含む、折口信夫研究に高橋直治著『折口信夫の学問研究』(有精導出版1991年4月)がありますが、未見です。

(2024年4月3日、雨の日、記。その後、4月10日まで、改稿。これは、『上原輝男著作集』のための解説・解題に関わる仕込みです。上原先生の御命日に向けて仕込みをさせていただきました、発酵を待つことにします。)