心底の志望は宇宙の意思
学修塾ダンデリオン 本莊雅一
「天地(あめつち)は日月(じつげつ)の魂魄(こんぱく)なり。
人(ひと)の魂魄(こんぱく)は日月(じつげつ)二神(にしん)の霊性(れいせい)なり。」
(吉田(よしだ)兼倶(かねとも)『神道(しんとう)大意(たいい)』)
天(てん)は太陽(たいよう)(日(ひ))と太陰(たいいん)(月(つき))の魂(たましい)であり、大地(だいち)は太陽(たいよう)(日(ひ))と太陰(たいいん)(月(つき))の魄(はく)(血(ち)と骨(ほね)と肉(にく))である。
人(ひと)の魂(たましい)は、日(にっ)神(しん)と月(げっ)神(しん)の霊(れい)である天(てん)の、徳(はたらき)・法則(ほうそく)を分(わ)け持(も)っており、人(ひと)の魄(はく)(肉体(にくたい))は、日(にっ)神(しん)と月(げっ)神(しん)の性(せい)が交(まじ)わって生(う)み出(だ)された大地(だいち)の、生命力(せいめいりょく)・生産力(せいさんりょく)を分(わ)け持(も)っている。
君(きみ)たちの心(こころ)には太陽(たいよう)や月(つき)の意思(いし)が宿(やど)っており、
君(きみ)たちの体(からだ)には太陽(たいよう)や月(つき)の威力(いりょく)が備(そな)わっている。
先祖(せんぞ)から子孫(しそん)へと連続(れんぞく)する生命(せいめい)の流(なが)れと、宇宙(うちゅう)の働(はたら)きとの翠点(すいてん)(一(ひと)つに集合(しゅうごう)した点(てん))が、君(きみ)という存在(そんざい)なのです。
君(きみ)たち一人(ひとり)ひとりは、人(ひと)の知恵(ちえ)でははかれない奇跡(きせき)によって、今(いま)ここに在(あ)り、生(い)かされている。
そんな君(きみ)たちが、心(こころ)の底(そこ)から望(のぞ)むことは、宇宙(うちゅう)そのものが望(のぞ)むことでもあります。
見(み)つけましょう。君(きみ)自身(じしん)の心底(しんそこ)からの志望(しぼう)を。全力(ぜんりょく)で生(い)きましょう!
経営している個人塾の授業前に生徒たちと行っている素読の、新年度の4月に定番で読んでいるものです。小一も読むので総ルビにしています。とはいえ、中学生も含めて大半の生徒たちは意味が分からず唱和しているだけかもしれません。
でも、言葉は元来「音」です。名文は、名曲です。
皆で唱和し、その文章のリズム、音韻を味わうだけでも何かが身体に降りてくるでしょうし、名文の凄みを感じてもらえれば、と思っています。意外と大きな声で元気に読んでくれます。
この一節は、私が玉川大学に入学したばかりの4月の講義で、上原輝男教授が紹介してくれたものです。意味を吟味する前に何だか感動して、物覚えの悪い私が一発で覚えてしまいました(上原先生の達筆にも度肝を抜かれましたが、これはすぐに読み取れた!)。
お弟子さんの結婚式に招かれたときは必ずこのくだりを祝辞として与えるとのこと。おおー、もし自分が結婚する場合は、絶対この先生にも来ていただこう!勝手にそう思ったものです。「退屈なスピーチ」とは全然異質な霊話になるだろうと。
「こう喝破しえただけでも、吉田兼倶という男は私より頭がいいと認めざるを得ない」と上原教授は嘆息されました。いや、歴史上の人物相手にそんなにしみじみするあなたこそいったい何者?
でも何の根拠もなしに大言壮語する人とも思えませんでした。教壇に立つだけでその場を異世界にトランスフォームさせるオーラを放っていたからです。
『古事記』を扱ったこの「文学Ⅰ」という講座が、私にとっては上原先生のエッセンスが濃縮されたものでした。今も様々な場面が思い出されます。
先生が、ウルトラマンの原作者金城哲夫氏の恩師であったこと。
釈迢空折口信夫最晩年の弟子として薫陶を受けたこと、
「心意伝承」の研究を継承していること、等々
もはや後の祭りですが、録音しておけばよかった、板書の写真を撮っておけばよかった、と今でも時々思います。
清冽な滝がぴしぴし撥はねながら落つるがごとき「心意伝承」の四字は本当に衝撃でした。
1年生の時から相当重症な上原中毒患者となり今に至ります。全然解毒されないのは本当に困ったものです。が、これくらい揺るぎない想いならば、もはや私個人の意志というより、もっと大いなるものの意思なのでしょう。
今年もまた4月11日を迎えます。お経の代わりに、子供たちと唱和します。
天地は日月の魂魄なり
人の魂魄は日月二神の霊性なり